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映画の窓から見る英国

−映画、あるいは文学、音楽、テレビなど・・・−

 

英文学者の日本文学 (定期的な更新は当てにしないでください。また、至って「非学問的」かつ「極私的」なコーナーであるので、ご了承のほど。)

 

夢野久作、『氷の果』(1933- このあいだ、また、読み直した。初めて読んだのはいつのことだか、これだけ歳を重ねた今では思い出す術もない。ここ数年、ますます、読書経験の記憶は、自分のものであっても、大半が「捏造」されているのではないかという感覚に襲われ、圧倒され、それに抗うこともなく流されているので、それこそ、この作品で暗示されているオホーツク海の無人の方位喪失と同じで、まったく訳が分からない。読んだのは本当に「自分」なのかという疑いさえ、あながち笑い飛ばすことができないリアルな可能性として、頭をよぎることがある。そういう当てにならない記憶を、記憶に騙される覚悟で辿ることを試みると、たぶん、高校生の頃だったような気がする。尋常ではない思い入れがある作品だけれども、でも、実は、それほど何度も読み返してきているわけでもない。ただ、読み直すごとに、得も謂われぬ既視感に襲われることは否めず、ひょっとすると、『ドグラ・マグラ』の九州帝国大学精神医学科「キチガイ博士」が説くところの「心理遺伝」が、僕の中でも、脈々と作動しているのかもしれない。物語の時代は、大正期、舞台は当時大日本帝国陸軍が展開していた満州はハルピン(これを漢字に変換できないMicrosoftWordには呆れる)。語り部は陸軍歩兵一等卒上村作次郎。軍国主義に邁進していた日本、共産主義革命を経ながらもいまだに反逆分子を抱えて国体の安定とは程遠い混迷状態にあったロシア、赤軍が暗躍する中国の三国が出会うところ、満州。かような混沌を極める地に配属された文学青年上村兵卒、たかが一兵卒には、どのような人生が可能なのか。内地とはまるで趣の違う大陸の広漠とした風景が広がる。(僕の魂は高揚する。)三国間の政治や日本の軍略など、たかが一兵卒には見えようもない。また、どうでも良い。これは「恋愛」と呼ぶにはあまりにも素朴な、しかし「性愛」は生々しくあるような、また、運命のいたずらが仕組んだ、必然性などない生(性)の充溢に高揚し、上村は、ロシアの要人オスロフの養女ニーナとウラジオストック(浦塩)へと、そしてその彼方のオホーツク海へと、おそらくは自殺的なしかし高揚感が極致に達する逃避行を試みる。二人にはもはやハルピンでの生存の可能性はなく、しかしどこと言って安住の地もなく、ひたすら「氷の果」への逃避行を企てる。生命が、生きるということの難しさと性愛の高揚が、二人が危機的状況に陥るに至って、比類なきまでに浮き彫りにされる…。僕は、人生とは、たかが(というのは語弊があるけれども)、この程度のものだと、常々思ってきた。人間は、たかが虫けら。しかし、外地で浮遊し生命の危険にさえ晒される羽目となった一兵卒にも、生きていることを悦ぶことは完全には否定されていない。東シベリアの大地が、大河があり、ニーナがいる。人生はいずれ終わるものであるならば、墓場が人知れないオホーツク海の氷であるというのも、それほど不条理なことではあるまい。ニーナという女も不思議だ。コルシカ島出身ということになっている。何故にして、極東の地まで旅をし、オスロフの庇護下でハルピンで暮らすようになったのか。訳が分からない。上村兵卒が彼女に見出した(と共にした)ものは、何であったのか…。ここには、生があり、性があり、ややもすれば愛がある。あるいは、そんなものはみな虚構なのかもしれない。あるのは、ただ、東シベリアの大地だけなのかもしれない。(20076月記)

 

 

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